MENU

龍河みきについて

当サイトにお越しいただき、誠にありがとうございます。

心すっきりサロンのディレクター(院長)である龍河みき(Miki Tatsukawa)です。

まるで病気に憑りつかれた過去

今でこそ数十年病院のお世話になっていませんが、子供のころは身体が弱くしょっちゅう学校休んでかかりつけ医にお世話になってばかりでした。

青年期になってもそれは続いて時折てんかんのような発作を起こして先生や同級生に心配をかけたり、社会人になってからもパニック障害、一時記憶喪失、痛風、慢性膵炎などなど本当にどこまで病気に好かれているんだというような人生。

こうやって一生自分は病院や薬のお世話にならないと生きていかれないのだろうか。そう考えると「むなしい」のひとこと

なぜか治った!これで自由だ!

生まれつきあきらめの悪い性分で、これからの長いであろう人生をそんな気持ちで送りたくない。何か突破口があるはずだと自分に言い聞かせ、当時は良いと思われるものをなんでも首を突っ込んだものです。

医療のことは何も知らないど素人の私は「病は気から」という言葉から、気の持ちようが大事なんだと素人ながら確信し心理学や宗教といった心を解く学問を片っ端から研究。
同時に気の実践として、様々な瞑想や呼吸法を教えてもらうためのセミナーや講習会に参加。
また、合気道の道場に入門し有段者となるまで研鑽を重ねました。

そして食事。慢性膵炎は一生治らないと医師から宣告され、そんなことあるかと徹底的に摂取物のコントロールをし身体の内側からの改善を試みました。

必死でやっているうちに数年がたち、いつの間にか症状は消え薬はいらなくなりました(診断は受けていないので、西洋医学的に完治したかはいまだにわかりません)。

ものすごく感動でした!
治った!自分の力で。
これで自由だ!

それ以来病院のお世話になることはなくなりました(歯科医院を除く(笑))。

西洋医学がすべてで完全ということはない

今考えると当時手当たり次第に実践していたことは、広い意味で量子医療というものの範疇になるのかなぁと勝手に思っています。

西洋医学を否定するわけではありません。突発に病気やケガなどはやはり西洋医学にお世話になるでしょう。
しかし、それ以外はほとんどの場合生活習慣と考えられ病院のお世話にならなくても改善することが可能であるというのが実感でした。

同じような症状で困っている方はたくさんいるのだろう。
参考までにも教えてあげることができればなぁなど漠然と思ったりしましたが、ちょっと間違うとしろうとの医療行為にもなりかねないのでブログなどにもできず、悶々としていたことを覚えています。

こんな落とし穴あり?人生いろいろあるのよね

それはあまりにも突然でした。
半年後に会社は倒産するという現実を聞かされて、あわてない人はいないでしょう。

しかし当時はかなりの不景気。すでに40歳を超えていて再就職には大変不利な状況にありました。それこそ100社以上に応募をして面接は20社くらい。すべて不合格。でも会社が倒産する日は本当にやってきました。

それならばとここでもあきらめの悪さを発揮して、いさぎよくキャリアを捨てて、やったことのない営業、ホームページ受託作成、職業訓練講師(自分が無職なのに(笑))などなど。しかしどれもパッとせず。貯金を切り崩す日は続きました。

そんなある日、整体師募集の広告に目がとまりました。なんでも近所に整体のチェーン店がオープンするとのこと。
「整体ってなんだっけ?マッサージ?」当時はそんなもんでした。
よく考えると会社が倒産してからしてきたことは明らかに「仕事」探しなんですね。ほとんどの人にとっては当たり前ですけど。しかしこの広告を見て感じたのは「興味」だったのです。仕事を探すではなく興味を持った。このことは仕事をするのではなく好きなことをするにつながります。非常に魅力的でわくわくしました。

「そうだ、何か健康のことで貢献できるかもしれないし、単純に楽しそうだしやりがいありそう」ということで直感的に応募しました。

整体は無資格で医療行為ではなく、国家資格を取らないと保険診療もできないことは知っていました。しかし妻子と家のローンもある私には資格の為に学校にいくなどと悠長なことはいっていられませんし、何しろ実際に施術をしなら成長できるという体験型が魅力でした。

整体師になってはみたが・・・

初級コースの研修を終えて晴れてデビューとなったまではよかったのですが、どこの世界もそう甘くはありません。
初級の整体師にできることなんてたいしてありません。担当できる症状は非常に限られています。空いている時間はひたすら練習と雑用。
他に仕事もしていましたので、毎日目の回るような忙しさでした。しかし患者さんからいただく感謝の言葉。やっぱり自分が無意識に求めていたのはこれなんだと実感しました。

そしてもっとその確信がもてたのは数年後に起きた東日本大震災の時です。

有志50名ほどの整体師がバスをチャーターして、福島の避難所に向かいました。避難生活で疲れ切った方々のケアをするボランティア活動です。夜中に出て朝から夜までひたすら施術にあたりました。避難疲れは想像以上のもので、重症の方々が多数訪れました。普段の施術よりも多くの時間がかかってこちらの消耗もかなりのものでしたが、本当に困っていらっしゃる方からいただく感謝の言葉はそれこそ感動モノでした。この時ほど整体をやってきてよかったと強く思えたことはありません。

これじゃないよね!やりたかったこと

その後各地で通算5店舗の整体院を担当し切り盛りし、年間1,500名にも及ぶ患者様を直接施術する整体師として悩みを持った方々のお役に立てるよう精進してきました。やがて会社の中核となり、店舗開拓と後輩指導も私の大事な仕事となりました。しかしこのころ会社を辞めることになります。

理由は2つ。私は経営をしたいのではない。自分の理念に基づいた整体をやりたい。でした。

もちろん施術は続けていたのですが、頭の中は経営の方が占めることとなっていき、本当にやりたい研究が思うようにできなくなったこと。万人が身につけることができ、万人に対応できる整体術は私の理想とする限界点より低かったのです(それでも業界水準より高かったです)。

チェーン店を否定はしません。経営も安定するでしょう。いけいけどんどんで整体院を増やしていくのが好きな人にとっては手ごたえがあるでしょう。しかし自分は整体にこだわりたい。困っている人ひとりひとりにこだわりたい。そして人の健康にかかわることは仕事という感覚ではできないと固く信じています。仕事を超えたまごころ、愛が基本にないと喜んでいただくことはできない。そして龍河みきの施術は私自身だけのものでで誰にも引き継ぐことはできないということです。

身体の悩みに付き添って一人でも多くの人を救いたい

当サロンの理念は上でもお伝えした通り、創業時の「身体の悩みに付き添って一人でも多くの人を救いたい」です。

私をはじめとする整体師を名乗る者は国家資格を持っていません。そのことによって有資格者からバッシングを受けたりして傷ついたことも少なくありません。
しかしそれでも私を頼って訪ねてくる方がいる。この事実こそが私の存在価値です。まごころや愛に資格はありません(こんなこと言うとまたしかられるかな)。

自分の回復に感動し整体の道に入りましたが、整体はあくまで軸として創業時の想いを大切に枠にとらわれないプライベートサロンとして進化を続けていきます。

PAGE TOP